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水音に誘われて

趣味の釣りや日常の徒然を綴っています。
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往く夏に思う…。

立秋、処暑を過ぎて、暦の上では秋となり、朝夕も随分涼しくなりました。

今夏、私のもとには鮎遊会の先輩を含めて、複数の訃報が届きました。

どなたもまだ若く、突然の訃報に驚くとともに、とてもショックを受けています。
元気だった頃の姿が目に浮かび、とても悲しく残念な気持ちでいっぱいです。

気持ちの整理もまだつきませんが、どうぞ安らかにと願うばかりです。

鮎掛けをはじめとして、夏にはたくさんの楽しみがありますが、私にとって夏は別れの季節でもあります。

両親や祖父母、可愛がってくれていた叔父、皆、お別れは夏でした…。

8月上旬の父母と祖母の年忌法要。

檀那寺の住職の説法は、浄土真宗の御文書の中の「白骨の章」にかけたものでした。

「白骨の章」は、浄土真宗の葬儀や法要ではよく引用されるのでご存知の方も多いと思います。

私も何度も聞いており、浄土真宗の葬儀といえば「白骨の章」というイメージがあります。

ネット上には原文を含め様々な訳が載っていますが、私なりの解釈は次のようなものです。

「この世は諸行無常で常に移ろっている。だから、永遠に生きる人はなく、人生の終わりは年齢に関係なく突然やってくる。一度お別れしてしまえば、どんなに嘆き悲しんでも元に戻す事はできず、どんな人も最後は白骨となるのである。だから、この世の無常に早く気づき、後生は極楽に行けるように、心から阿弥陀仏におすがりして念仏しなさい…。」

後半の「阿弥陀様にすがって念仏する」かどうかや、そもそも後生、極楽、地獄などが存在するのかどうかはさておき、「白骨の章」は初めて聞いた時から心に残るものでした。

檀那寺の住職によると、浄土真宗の葬儀で「白骨の章」が読まれるのは、「身をもって諸行無常を教えてくれた大切な人の姿を通して、人生で果たすべき大事なことは何かを考えなさい。」というメッセージだとの事。

人を見送る経験をすると、あの時ああしておけば良かったとか、あれがまずかったんじゃないかなどと考えがちです。

でも、たとえそうだとしても、もうやり直す事はできません。

だからこそ、旅立たれた方の姿を事を心にとめ、大事な事を教えてくれたことを感謝しつつ、自分の行動や生き方を見直す。そして、生前に受けた恩は次の誰かのために送る。

もし、供養の方法があるのなら、それが一番なのではないかと思っています。

とは言いながら、いつもそんな事を意識し続けられるものでもありません。

日々の生活を振り返ると、反省する事しきり。

今の私の姿を見たら、みんななんて言うだろう。恥ずかしくないようにしないといけないな…。

雨上がり、蜩の声を聞きながら、そんな事を思ってます。
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プロフィール

明太子(^^)

Author:明太子(^^)
春と秋は渓流のフライフィッシング、夏は鮎の友掛け、晩秋から冬はダゴチンや海のフライフィッシング。年間通じて魚を追いかけています。
フライフィッシングは大好きですが、料理も食べる事も大好きなので、いわゆるC&R派ではありません。フライで釣った魚を食べることに抵抗のある方もおられると思いますが、その点は予めご了解ください。

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